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今回と次回、2回に渡って日本が見舞われた未曾有の大震災時の経済状況が示す、不思議な歴史のアナロジー(類比)というものに迫ってみたい。そして、そこから現在の我々が教訓として生かし得る材料を探ってみることにする。

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  • 気鋭の経済アナリストが解きほぐす為替変動の深層(真相) 第16回:岩本沙弓
気鋭の経済アナリストが解きほぐす為替変動の深層(真相) 第16回:岩本沙弓
気鋭の経済アナリストが解きほぐす為替変動の深層(真相) 第16回:岩本沙弓

有史以来、日本の国土は何度となく自然災害に襲われてきた。この100年の間の震災だけでも、関東大震災、阪神・淡路大震災、そして、今回の東日本大震災がある。
そこで今回と次回、2回に渡って日本が見舞われた未曾有の大震災時の経済状況が示す、不思議な歴史のアナロジー(類比)というものに迫ってみたい。そして、そこから現在の我々が教訓として生かし得る材料を探ってみることにする。

未曾有の大震災「関東大震災」

■大震災の発生で長引く不況に苦しむ

1923年9月1日、午前11時58分、ゴーッと轟音とともに、激しい揺れが関東地方を襲った。千葉の銚子に程近い場所に住んでいた私の祖母は、この「ゴーッ」という音が海のほうから聞こえてきたといっていた。
揺れを感じてすぐ、「すぐ外に出ろ!」という曾祖父の叫び声に従って、家の外へと飛び出したが、当時13歳の祖母は立つことも、歩くこともままならない。地面は波打ち、生えている雑草を両手で握りしめて、体が放り出されそうになるのを必死に凌ぎながら、揺れが収まるのを待っていたという。
上下動と水平動の混じり合った揺れは家屋のほとんどをなぎ倒した。一度は家の外に避難した曾祖父は、末娘がまだ家のなかにいることに気がつく。慌てて娘を助け出しに家へ入っていったところで、祖母の家も倒壊した。
「一番下の妹は倒壊した材木の間に挟まれながらも、父親の体の厚みのおかげで、その命と引き換えに助かった」と、今はもう他界した祖母が、そう何度も語っていたのを覚えている。
関東大震災での被害家屋は18万戸、死者数は7万人、その多くが地震による直接的な被害というよりも、その後に発生した火災による焼死者であった。そして、この震災がある意味引き金となって、日本国内では昭和金融恐慌が国内で発生し、さらに、その後に発生する世界恐慌にも巻き込まれ、長引く不況に日本が苦しむことになるというのが歴史の流れである。

関東大震災時の社会・経済状況

■戦争特需で経済は右肩上がり

当時の社会情勢、そして、経済状況とはいかなるものか。それを探るには、関東大震災の発生する5年前の1918年に終了した第一次世界大戦、そして、さらに、そこから4年遡って大戦の開始した1914年を眺める必要がる。
1914年に始まった第一次世界大戦は1918年に終わるのだが、戦地にならなかった日本は、戦争によって物資の輸出が不可能となった各国に代わって、輸出を行うことで貿易黒字が大幅に拡大することになった。
日本銀行百年史の物価指数を見ると、開戦当時(大正3年、1914年)100だった指数は、終了時には220にまで上昇をしている。戦争特需に沸いた日本は、1918年にいわゆる大戦バブルのピークを迎えるのである。

図1

指数上昇の要因としては、海外での戦争による物価高騰の他、輸出の増大、原材料・機械の輸入の減少、国内での投資・消費の急速な拡大などがあげられる。「成金」という言葉はそもそもこの時代の新興企業を指すものだという。雨後の竹の子のごとく、戦争特需で巨万の資金を手に入れた面々がいたのだ。
4年で大戦バブルのピークを迎える状況は、ちょうど1987年に安田火災(当時)が約57億円でゴッホの「ひまわり」を、1989年には三菱地所がニューヨークのロックフェラーセンターを2000億円で購入し、日本が資産バブルを駆け上がっていった軌跡と重なって見える。

■戦争特需から一気に不況とデフレへ

そして、いつの時代でも経済バブルは必ず弾ける。第一次大戦終了とともに、その反動が急激に訪れ、あっという間に不況とデフレに襲われることになった。とくに、大正9年(1920年)3月15日の株価は大暴落をきたし、株式だけでなく、あらゆる市場が閉鎖するような状況に追い込まれた。
大正8年から9年にかけてピークに達した物価は、その後下落を始め、デフレが進行するとともに、企業活動も低迷し、それが雇用状況を悪化させていった。以後、大正から昭和にまたがる10数年間、デフレ傾向は続く。
1989年12月29日の大納会に、日経平均株価が3万8915円をつけたのをピークに暴落に転じ、以降10数年、資産バブルの後始末による不況デフレへと陥っていったステージと同様のイメージである。
そして、バブル生成のタイムスパンだけでなく、大戦バブルが崩壊し、デフレ不況入りのところで、関東大震災に見舞われた大正末、そして、資産バブルの崩壊から阪神・淡路大震災に見舞われた平成と、いずれもバブル崩壊から不幸にも発生した震災までもが偶然にも約5年なのである。

第一次世界大戦で金本位制が一時停止

■円高でも輸出が伸びたのは?

実は、1914年、第一次世界大戦がはじまると同時に、各国はそれまで採用していた金本位制をいったん停止することとなった。戦況の悪化に伴い、金の運搬が不可能になったということが直接の原因ではあるが、これで金という実物資産の縛りがなく、各国は戦争に必要な通貨供給量を一気に増やすことができたのである。
大戦後、各国は再び金本位制に復帰するので、あくまでも一時的な措置ではあるが、通貨制度の変換は、為替市場にも多分の影響を及ぼすことになった。
各国が金本位制の一時停止に伴う、いわゆる金輸出禁止を実施し、通貨を切り下げるなか、日本だけは金輸出停止をしたのが1917年と遅れたことから、この間、為替レートは円高に触れている。円高でも輸出が伸びたのは、前述の通り、欧州のサプライチェーンが壊滅状態にあり、武器、食料すべてが必要とされていたからである。

■為替市場の大変化からバブル生成までの時間軸が一致

そして、ここでも今と100年前の歴史のアナロジーは繰り返される。
金本位制の停止という通貨切り下げから4年後に、大戦バブルのピークを迎えた70 年前。一方、1985年のプラザ合意では金に変わって基軸通貨となった米ドルの切下げがあり、それから日本の資産バブルのピークまでが4年。
為替市場の大きな制度の変化の後には、ともに通貨供給量がジャブジャブに増えたという共通点があり、結果的にバブル生成までの時間軸が一致している。
話を整理するために、ここまでの経緯を現代と大正・昭和のできごとを時系列で比較してみたい。同じような時間軸で数々の類似点が現れているのが確認できよう。

図2
■国家として裕福かどうか

ちなみに、震災直後の為替レートに関してだが、1923年の震災当時は、直後から円安に振れている。未曾有の大震災となれば、国力減退ということで円安に振れるのは当然のこと。しかし、今回の東日本大震災後は周知の通り、円高が進み、いったいどうしてなのかという議論がずいぶんされていた。
かつてと今とで違うことはただひとつ。国家として裕福かどうかということだけだ。第一次世界大戦前の日本は、日清戦争・日露戦争を経て、先進国の仲間入りをしたような気分になっていたが、台所事情は火の車である。
基本的には、輸入超、外貨資産も乏しく、とくに、日露戦争の戦費10億円のファイナンスを海外からまかなっていたため、その支払の負担が重くのしかかっていた。あわや財政破綻かというときに、第一次世界大戦が勃発し、貿易収支が黒字に改善したという状態である。
翻って現在は、日本国債の95%は日本国内で引き受けられており、海外にファイナンスを依存しているような危うい状況とは程遠い。それどころか、対外資産から対外負債を引いた対外純資産は、19年連続して世界1位を誇っている。

■今回の震災で円が買われたのは?

つまり、日本ほど裕福な国はなく、平時では余剰資産は海外へと流れていく構図である。それが今回の震災にあたっては、海外からの実際に資金のレパトリ(還流)が発生したというよりは、これから先、少なくとも日本から海外への新規投資はかなり手控えられるだろうという、世界中のファイナンスを支えていた日本の資金が滞ることによる各国へのマイナスの影響から、消去法的に通貨・円が買われるという状況に至っている。

昭和金融恐慌と平成金融恐慌

■ついうっかり発言が引き起こした昭和金融恐慌

1929年のニューヨークダウの大暴落が引き金となり、各国へと不況が蔓延していった世界恐慌。その影響で発生した1930年の昭和恐慌とよく混同されるのだが、それとはまったく別ものとして、1927年3月に日本では「昭和金融恐慌」が発生した。
第一時大戦バブルから一気に不況に晒され、そこに関東大震災という自然災害に見舞われたことで、震災処理のために発行された震災手形も含め、膨大な不良債権が発生していたのである。
当時、衆議院予算委員会のなかでこの不良債権処理の方法について、金融機関の財務状況をディスクローズするか否かで、片岡蔵相が糾弾を受けていたときのことになるが、急きょ渡されたメモ書きを見て(実は破綻をしていなかったにもかかわらず)、ある銀行が破綻したと勘違いをし、ついうっかり破綻と失言をしてしまったために、金融不安が表面化。
中小銀行を中心にして、取りつけ騒ぎが発生した。とくに、日本の植民地であった台湾の中央銀行、台湾銀行の休業、その台湾銀行が保有する債券の7割近くを占めるほど関係が深かった鈴木商店の倒産は、さらに、金融不安を悪化させることになった。
鈴木商店とは、第一次世界大戦前から大戦を通じて急速に規模を拡大してきた新興の商社である。鈴木商店は倒産したものの、その流れを汲む会社は今でも健在である。神戸製鉄所、帝人、サッポロビール、石川島播磨重工、昭和産業、日商岩井と数々の企業が名を連ねる。倒産はしても、廃業はしなかったという点は非常に興味深い。

図3
■大震災から4年目がポイント

数々の文献を調べていくと、古くからある財閥との確執というものが垣間見え、エスタブリッシュメント(社会的権威保持層)にひねり潰されていくベンチャー企業の姿が浮かび上がるのだ。いつの時代でも、新興勢力への風あたりは強いものであることを改めて感じさせられる。
昭和金融恐慌が発生するのは関東大震災から4年後。そして、その昭和金融恐慌の再来かと日本中を不安に陥れた三洋証券、北海道拓殖銀行、山一証券、徳陽シティ銀行の相次ぐ破たんは、1997年11月であったので、阪神・淡路大震災から間もなく4年を迎えるという時期であった。

■不況・震災のなかでの判断ミスは、経済的な命取りになる

ややもすると、経済バブルが崩壊した後に、偶然発生した大震災がさらに景気を悪化したように見えるのだが、とくに、1997年は震災からの経済的な立ち上がりがおぼつかないなか、消費税の引き上げを実施した悪影響は否めない。
現在の増税論を振りかざす勢力は、90年代から2000年にかけ消費税のもたらした経済的ショックというものを、もはや記憶から消去してしまったようである。増税によって以後不況が長引くという状況は、つい一昔前の事象が証明している。
デフレ不況下で収入が減少していくなかでの増税は、固定費の増加という負担を増やす政策以外の何ものでもない。しかも、震災後の復興需要から得た収益までも、被災地、被災地外からすべて巻き上げてしまうという点で、不況→震災のなかで政策の判断ミスは経済的な命取りとなりうる。

■過去の苦い経験を生かすべし

ところで、類似点ばかりではなく、当時との相違点もここでは見受けられる。預金保険制度が法制化され、ひとり1金融機関での1000万円までは預金が保護されるペイオフは、昭和金融恐慌の取りつけ騒ぎの教訓を生かしてのことである。
結果、2000年初頭まで続く金融恐慌で、かつてのような取りつけ騒ぎも混乱も発生はせず、金融システムの安定は保たれた。過去の苦い経験を活かすことこそ、今の政策に求められていることであろう(以下、次回に続く)。

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