人工知能と相場とコンピューターと|第7回 Appleの登場[奥村尚]

人工知能と相場とコンピューターと|第7回 Appleの登場[奥村尚]

戦争が世界経済に及ぼした影響とは

 1970年代に入り、日本は1971年のニクソンショック、1973年の第一次オイルショックを経て、それまで達成していた2桁の高度成長が止まります。

 1955年から1973年までの18年間、実質成長率は実に最高20.9% (1961年)、最低でも5.0%(1971年)で、年平均9.2%とすさまじい勢いでした。ここで日本の経済成長を一覧してみましょう(表①)。

日本の経済成長

 1970年代は、高度経済成長から安定成長への転換期だったことが分かります。高度経済成長期は、重化学工業中心に栄えた時代です。廃液垂れ流し、産業廃棄物捨てっぱなし、煙突から有害物質出し放題という、今から考えると信じられない時代でした。

 東京都でも下水道は50%以下の普及率でしたし、水質汚染、大気汚染、自然破壊、鉄道や道路の騒音問題などはお構いなしだったのです。ちなみに23区の下水道普及率が100%に達したのは、なんと1995年です(東京都下水道局HP)。

 公害問題は1960年代には顕在化していたのですが、さすがに大きな社会問題となり、1970年に法律が整備され、翌1971年に環境庁が発足。ようやく環境を意識できる“普通の”先進国として変化を遂げつつあった時期です。

ドル円レートの変遷

 1974年以降も、安定成長を継続していきますが、為替レートは大きく動きました。1970年代のドル円レートを、確認してみましょう(チャート①)。

1970年代のドル円レート

 360円の固定レートは、ニクソンショック後に308円まで切りさげられ(スミソニアン体制)、1973年の第4次中東戦争によるオイルショック直前に変動相場制に移行します。

 日本経済はそれまで安価だった石油を輸入し、国内で製品加工し輸出する構造だったので、石油高とインフレで苦しみ、景気後退に陥りました。特にインフレは強烈で、1973年の卸売物価指数は前月比プラス7.1%(12月)、前年比プラス29%(日銀統計局経済統計年表)で、物価はみるみる上昇していったのです。

 完全失業者も100万人を超えました(総務省統計局労働力調査2015)。それでも完全失業率としては1.4%であり、街に失業者があふれるような状況ではありませんでしたが、スーパーからトイレットペーパーや洗剤が消えました。2020年の新型コロナウイルスのときも、なぜかスーパーからトイレットペーパーが消えたので、両者合わせて記憶に残ることでしょう。

 こうした騒動は、1975年に底入れします。経済全体では、自動車、家電、精密機械の輸出が激増し、1976年から日本の貿易黒字が拡大、再び円高が進行しました。日本としては経済のために必死だったわけですが、国内の市場(特に農産物)を外国に開放せず、日本の良質で安い労働力と、ほぼ休まず働いて輸出しまくる構図は、エコノミックアニマルとして欧米には理解されず、日本に対する風当たりは強くなる一方でした。このころ、円は一時180円台まで下がりました(円高)。

オイルショックが世界に及ぼした影響

 1978年1月、イラン革命が始まり、ホメイニ師率いる革命政府によって石油を国有化されます。石油メジャーは撤退を余儀なくされました。当時、イランは世界2位の石油輸出国でしたから、大変なことだったのです。さらに革命政府は資源保護を理由に石油を減産、石油輸出国機構(OPEC)も同調します(第二次オイルショック)。

 価格が上昇し続ける石油を何とかしようと、1979年6月、G7による東京サミットで、先進国首脳はOPECを非難しますが、対策がなく世界的な低成長時代に入ります。

 オイルショックの影響がいかに大きかったかを見てみましょう。表②は、「国内総生産(GDP)比率で原油輸入額がどの程度大きくなったか」、および「輸入総額における原油輸入金額の増加比率」を表したものです。

オイルショックの影響

  日本は、G7の中でオイルショックの影響が最も大きかったことがよく分かると思います。各国とも、GDPに対する比率としては、それほどでもなかったのですが、輸入全体に対する石油の金額増加はすさまじいものでした。逆にいえば、オイルショック以前は石油が安かったということです。

1970年代の原油価格

 当時の原油価格を振り返ってみましょう(チャート②)。2回のオイルショックにより、エネルギーを原油に頼ってはいけないという動きが起き、原子力発電が成長します。エネルギーを節約する技術も進みました。この技術は工場、電車、車、家電など広範な分野に及び、その後の日本の優れた省エネ技術の基盤となっていくことになります。さらに、石油備蓄を民間だけではなく、国家としても行う法律が整備され(石油備蓄法)、国家備蓄を行うようになりました。2020年7月時点では、官民合わせて244日分、5.2億バーレルの石油が備蓄されています(資源エネルギー庁「石油備蓄の現況」)。

 このオイルショックは、米国の為替政策にも大きな影響を与えました。この時期までは、米国は貿易黒字側が対策を講じるべきであるという、善意の無視(benign neglect)の立場をとっていました。しかし、1978年11月、ドルの価値がどんどん下落しインフレが加速、物価も上昇していく中で、米国はカーター大統領がドル防衛策を発表し、欧州はそれに同調、ドル買いで協調しドル高円安が進みました(1970年代ドル円レートにおける1978年以降の円安推移)。

パソコンの普及と開発競争

 コンピュータの世界に話を移しましょう。1970年代のマイクロプロセッサの登場は、その後の世界を大きく変えましたが、変えたのはマイクロプロセッサというハードウェアの発明ではなく、それを何に使って、どのように世界に伝えていったか、ということでした。

 1976年、一人の天才が、マイクロプロセッサを使ってパソコンの構想を形にしようと、会社を立ち上げます。 天才とは、いうまでもなく、Apple社の共同創業者であるスティーブ・ジョブズです。翌年1977年、「AppleⅡ」(画像①)を発表、圧倒的な成功を収めました。構成は現在のパソコンと同じです。その普及が進むにつれ、スプレッドシート、ゲームなど、魅力的なソフトが出てきて、それを使いたいユーザーが増え、さらにシェアが広がりソフトが増える状況でした。

AppleⅡ

アップル博物館

 日本でも、パソコンはカタカナや漢字を実装した独自の形で普及が始まります。1978年、シャープは「MZ-80」、翌年NECは「PC-8001」を発表します。その後、富士通、日立、ソニーなどがパソコンを出しますが、シャープとNECは存在感が突出していました。

 当時の日本のパソコンは、AppleⅡソフトの焼き直しと、ゲームを中心に普及を始めたのですが、パソコンはそれぞれの会社が独自規格であり、全くソフトに互換性はありません。しかも、かなり高価でした。PC-8001は、20万円弱。これにメモリ増設、カラーディスプレイ、フロッピーディスク記憶装置、プリンタを入れた合計は、80万円ほどです。当時Apple社は日本に拠点がなく、本体が40万円台で輸入されていました。周辺装置をいれると100万円に達したはずです。まだまだ、この時代のコンピュータは身近なものではありませんでした。

 このころ、私は学生だったのですが、コンピュータというものに強い興味を抱きました。どのようなものか、物知りの先輩にきいたところ、このような答えが返ってきました。

「コンピュータは何でもできる。しかし、最初は何も知らないから覚え込ませる必要がある。だから、最初は何もできないんだ」

 何だか、ちんぷんかんぷんですね。どこからそんな知識を仕込んだか分かりませんが、日本はそんな時代でした。結局、コンピュータのことは誰も、何も、知らなかったのです。

 マイクロプロセッサは、最初から演算や関数を内部に持っていて、簡単な計算は一発でできます。複雑な計算は、アルゴリズムをプログラム言語で記述することによって、何でも計算できます。

 21世紀の現在、われわれはコンピュータの説明を、こうするでしょう。音楽をYouTubeで聴き、テレビをAndroidで見ながら、友人とLINEで話す。Excelで計算を行い、Webで調査と翻訳を行いながらワープロでレポートを作成、内部資料は事前にクラウドで共有し社外との会議はZoomで行う。これを可能にするのがコンピュータだ、と。

AI分野での初の成功モデル

 人工知能(AI)も、コンピュータの進化と歩調を合わせるように進化を続けます。1970年代にこの分野で登場した技術としては、何といっても「エキスパートシステム」が代表格でしょう。

 エキスパートは、専門家という意味です。専門家が持つ、定量的な知識だけではなく、経験的な知識(ヒューリスティクスといいます)をルールとしてデータベースに記述することで、専門家のような仕事をさせるものです。

 このシステムでは、知識(知識ベース)と推論(推論エンジン)を別々に分け、独立して構造化しています。知識ベースは、専門家が持つノウハウを「もしXならば、Yである」というルールに掘り下げて、丁寧に記述していきます。推論エンジンは、知識ベースで記述された専門知識を利用して解を推論する仕組みです。

 いわゆるAIといわれる分野での初の成功モデルは、このエキスパートシステムでした。例えば、「Mycin」です。1972年、専門医に匹敵する細菌感染診断が可能といわれたエキスパートシステムです。

 Mycinは、細菌の専門医の経験則を知識ベース化したもので、細菌感染の診断をするシステムとして医学分野で成果を出しました。スタンフォード大学医学部の調査によると、Mycinの診断正解率は約69%でした。「専門医の診断」の正解率(約80%)には及ばないものの、「細菌感染の専門家でない医師」よりは優秀な成績だったのです。

 しかし、抜群の性能にもかかわらずMycinは使われることはありませんでした。倫理、法律の問題があり、もし間違った診断を下した場合に、誰が責任を取るのか明確ではなかったのです。現代では、アシスタントとしてシステムを申請し、操作をした医者が責任を取る仕組みになっています。

 有用さを証明できたエキスパートシステムでしたが、欠点が二つありました。一つは知識ベースの開発に膨大な手間がかかることです。エキスパートシステムを構築するためには、専門家の知見をルールとして、手動でデータベース化していく必要があったのです。

 さらに、人間が使う曖昧な表現をエキスパートシステムではルール化できないことも欠点でした。曖昧な表現ができない結果、ルール間で矛盾が生じるなどの課題が明らかになり、複雑な実問題に対して満足な結果が得られないケースもありました。

 しかし、エキスパートシステムの登場により、AIの優秀さを示すことになったため、1980年代もAIに大きな期待が寄せられたのです。

※この記事は、FX攻略.com2020年10月号の記事を転載・再編集したものです。本文で書かれている相場情報は現在の相場とは異なりますのでご注意ください。

奥村尚の写真

奥村尚(おくむら・ひさし)

1987年工学部修士課程修了。テーマはAI(人工知能)。日興証券で数々の数理モデルを開発。スタンフォード大学教授ウィリアム・シャープ博士(1990年ノーベル経済学賞受賞)と投資モデル共同開発、東証株価のネット配信(世界初)。さらにイスラエルのモサド科学顧問とベンチャー企業を設立、AI技術を商用化し大手空港に導入するなど、金融とITの交点で実績多数。現在はアナリストレーティングをAI評価するモデル「MRA」、近将来のFXレートをAI推計する「FXeye」、リスクとリターンを表示するチャート分析「トワイライトゾーン」を提供。日本の金融リテラシーを高めるため、金融リテラシー塾を主催している。
趣味はオーディオと運動。エアロビック競技を15年前から始め、NACマスター部門シングル9連覇、2016年シニア2位、2014~2016年日本選手権千葉県代表、2017~2018年日本選手権 マスター3準優勝。スポーツ万能と発言するも実は「かなずち」であり、球技も苦手である。座右の銘は「どんな意思決定でも遅すぎることはない」。

公式サイト:奥村尚の投資ブログ

YouTube:https://www.youtube.com/channel/UCH6E6sGJIOEQJlM9_BmzIGg

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