FX力を鍛える有名人コラム

人工知能と相場とコンピューターと|第11回 90年代のキセキ[奥村尚]

人工知能と相場とコンピューターと|第11回 90年代のキセキ[奥村尚]

BISが発表する為替取引量に注目

 国際決済銀行(BIS)は世界の中央銀行をメンバーとする国際金融の協力促進組織で、3年ごとに世界の為替取引量を調査しています。最新のレポートは2019年のものです。

 それによると、1日の取引量は6.6兆ドル(2019年4月)、当時のドル円レートで換算すると約740兆円です。東京証券取引所の1日の取引量は、2019年は4兆円以下でしたから、その180倍以上の取引があったことになります。世界最大の証券市場であるNY証券取引所は、東証の3倍の取引がありますが、それと比べても60倍以上の取引があります。

 株式と債券はほぼ同等の金額で取引がありますが、為替は、それらを超える圧倒的な規模で取引が日々行われていることになります。ちなみに、貿易のための実需取引は1割であり、9割は金融取引です。

 2019年は、通貨ペアの中でドルが占める割合は88.3%、次いでユーロ32.3%、日本円16.8%、ポンド12.8%でした。この十数年の取引量比率推移をグラフで見てみましょう(図①)。

通貨の取引数量比率推移

BIS 調査レポート2019よりTrioAM作成(全通貨で合計200%)

 ドルの地位は変わりませんが、ユーロや円の地位が下がって、その代わりに他の通貨の比率が上がってきていることが分かります。人民元、HKドル、NZドルなどが目立つ存在でした。

 業者別の取引シェアに関しては、インターバンク(大手銀行)が38.2%でした。これもグラフにしておきます(図②)。PTFというのは、Proprietary Trading Firmの略です。自己で相場を張る参加者のことで、コンピュータの自動処理による高頻度売買を行う業者を含み、ヘッジファンドと同じと思って差し支えありません。

2019年の業者別取引量

BIS 調査レポート2019よりTrioAM作成(全通貨で合計200%)

 この年のインターバンクのトップシェアはJPモルガン、2位ドイツ銀行、3位シティ、以下UBS、ステート・ストリート、HSBC、バンク・オブ・アメリカ、ゴールドマン・サックスと続いていました(順位はTrioAM調べ)。

個人の為替取引は1998年に可能に

 FX取引は、今でこそ普通の投資商品として広まっていますが、日本では1996年まで、通貨の対外取引(つまり通貨ペアのトレード)は禁止されていました。「外国為替及び外国貿易法」(いわゆる外為法)という法律があり、個人はもちろん、企業ですらも外為取引は自由にできなかったのです。仮に企業が輸入のためにドルが必要になっても、通商産業省が国内保護のために簡単には認めず、ドル円交換がしずらかったのです。

 世界経済がどんどんグローバル化してきた1963年、日本はまず世界に輸出を広げる(GATT11条)国に入りました。これは自由貿易協定で、途上国として許される保護貿易の権利を捨てて自国市場を開放し、その代わりに外国への輸出も自由に行えるというものでした。1964年には為替も、通貨交換の制限が認められる途上国から、通貨交換の制限が認められない(IMF8条)国に移行しました。

 世界では、貿易も為替も自由化することが先進国の条件とされますが、この年、ようやく日本も先進国と認められ、経済協力開発機構(OECD)に加盟できました。元加盟国以外では初めて、非欧米諸国でも初めて、当然アジアでも初めての加盟でした。途上国を援助し自由貿易を拡大するための組織で、本部はパリの旧ラ・ミュエット宮殿(画像①)、ルイ16世とマリー・アントワネットが新婚生活をした宮殿です。

OECD本部(パリ16区)

 1964年10月には東京オリンピックが開催されましたが、イメージ的にも国際制度上も、世界の仲間入りをした記念すべき年でした。しかし、FXだけは外為法がまだ生きており、1973年に変動為替相場に移行したあとも、為替の対外取引を個人が行うことはできませんでした。1980年に少しだけ改正され、金融機関だけは自由に取引できるようになったのですが、個人が通貨取引を行うことはできず、せいぜい公認された金融機関(外為公認銀行)である銀行や証券会社が提供する外貨預金や外貨MMFしか外貨投資の道はなかったのです。

 大昔の話にも聞こえますが、外為法が改正される1998年までこの状態が続きます。それまでは、大量の外貨が流入(あるいは円が流出)すると経済安定が損なわれるという考えがあり、世界の金融センターとしての東京の地位がどんどん低下していく中、ようやく個人でも外国為替取引ができるようになったのです。

 ただ、このときは誰でも自由にFX事業を開業できたため、業界は無法地帯でした。顧客資金と会社資金を分別管理しなかったり、顧客注文を勝手に内部処理して売買を成立させなかったり、アレコレ理由をつけて顧客に出金をさせずに、使い込む会社まで出る始末でした。

 さすがに、こうした無法状態は2005年の金融先物取引法改正によって改善し、業者は金融当局による審査登録を経て開業するようになり、健全な発展が期待できる業界になりました。個人が安心してFXトレードができるようになったのは、2005年。案外最近のことなのです。

 1990年をはさむ10年、為替は最も大きく動いた時期でした。プラザ合意(1985年)、ブラックマンデー(1987年)、湾岸戦争(1990年)などを経て、1995年4月、ドル円レートは79.75円という史上最高値(円高)を記録しました。米国がドルを弱い通貨のまま放置したためですが、1995年以降は強いドル政策に転じ、再び円安に向かいます(チャート①)。

ドル円の推移

通貨の強弱によるメリット・デメリット

 ところで、一国の通貨が弱い場合と強い場合のメリット・デメリットがあります。通貨が強い場合、金利が高いことと密接な関係もあり、国債の魅力が増して海外からの投資が増え、輸入物価の引き下げにもなります。強い自国通貨で対外投資を有利に進められるため、強力な通貨価値で買収や資産購入が可能となり、ビジネスの拡大と国力増強にもつながります。海外旅行にも都合が良いでしょう。しかし、輸出品の現地価格が上がるので売れなくなり、貿易赤字になりやすくなります。

 一方、通貨が弱いと輸出製品の価格を下げることができ、短期的な収益上昇になります。しかし輸入品は高騰し、エネルギー輸入国であれば社会コストが増します。半面、海外から見ると物価が下がるため外国からの観光客が増え、その観点での国内消費は増します。

 米国は1990年から1995年まで、ドル高を維持してきました。その結果、輸入が増え、経常赤字が拡大し、2000年には4500億ドルにもなりました。これは当時の国内総生産(GDP)の4.5%相当です。

 1995年1月にクリントン政権で、ゴールドマン・サックスの債券トレーダーとして活躍したルービン氏が財務長官に就任しました。1995年4月の1ドル80円割れになった円高に危機感を高め、口先介入という手法を編み出し、その後ドル高に移行させていったのです。

 そして、円高の1994年にFXトレードの失敗による大事件が発覚しました。日本航空(JAL)が1985年から1986年にかけて、その後11年にもわたるドルの先物予約を行い、巨額の損失を被ったのです。

 先物予約とは、そのときのレートで将来もドルを買う契約のことであり、一度契約すると解約できません。円高が進行すると損が膨らむ危険な取引であり、したがって通常はせいぜい数か月先までの契約にとどめるのですが、11年という長期契約をしたのです。JAL経営陣はこれを放置し、また損失を隠し、ごまかすため予約したドルで航空機の購入を行いました。結局、他社より割高で航空機を購入したことになり、長期間にわたり損益を悪化させました。

 合計2200億円という巨額の損失ですが、こうした体質がリーマンショック時の燃料デリバティブ取引の失敗などを誘発し、結局2010年にJALは破綻しました。思い込みでトレードする危険性を、こうした事例からも学びとる必要があるでしょう。

Windows95の登場でPCが普及

 1990年代中盤といえば、コンピュータの世界では大きな転換点となった年です。「Windows95」の登場です。当時のパソコンは、原始的なMS-DOSの上に「Windows3.1」というソフトを別に使う、例えていうなら、和式便器の上に洋式便座を置いて使うような無理がありました。漢字のファイル名は使えない、新しい機器を接続するには付属フロッピーからドライバインストールが必要、ドライバの設定がマニアックで難解、ネットワーク機能はない、Windows3.1のインストールはフロッピーが何枚もあって丸一日仕事、そもそも使いものになるソフトはない、とないない尽くしだったのです。

 それが Windows95で解決されました。特にTCP/IPが最初から実装されたため、そのままインターネットに接続できるのは画期的でした。同時に発売された「Office95」とあいまって、ビジネス市場でも受け入れられ、一気に社会に普及しました。

 なお、1997年、AIの世界でも大きな成果が出ます。AIがチェスの世界チャンピオンと6番勝負を行い、2勝1敗3分けで勝ったのです。

 このソフトの原版である「ディープ・ソート」を開発したのは、カーネギーメロン大学の大学院学生やOBチームです。ディープ・ソートは1988年時点で10手先まで(1秒あたり75万の陣形)を分析し、グランドマスターというチェス最高称号を持つベント・ラーセンに勝利しました。同じアルゴリズムでハードウェアの能力をさらに2-3倍まで高め、1989年にチェスの世界チャンピオン、ガルリ・カスパロフに初挑戦したのですが、簡単に負けます。

 開発の中心人物3名はIBMにスカウトされ入社、ディープ・ソート改め「ディープ・ブルー」という名前に変更し、チェスコンピュータ開発を継続します。当時のIBMワークステーションRS/6000用をベースに、チェスに特化したプロセッサを512個追加し、ディープ・ソートより500倍も速い速度で陣形を解読します。1秒に10億陣形を解析し、14手先まで読むことができました。

 1996年2月にディープ・ブルーはカスパロフと初めて戦いました。ソフト開発チームにとっては、ディープ・ソート以来2回目です。コンピュータは1勝3敗2分けで負けましたが、1ゲームの勝利は貴重でした。記録によると、勝ったのは初戦、賞金50万ドルを勝者と敗者8:2で分けたようです。

 翌1997年、再度対局が行われ、今度はコンピュータが2勝1敗3分けで勝ちました(画像②)。ディープ・ブルーは2ゲーム目、6ゲーム目を勝利しています。

1997年にNYで行われたディープ・ブルーとカスパロフ(左)の再戦

出所:Computer History Museum

 カスパロフは2005年にチェスを引退しましたが、彼は2018年Webサミット(リスボン)で米国のITメディアZDNetのインタビューにこう答えています。

「現在のコンピュータとチェス王者では、フェラーリとウサインボルトの差がある。つまり、勝負にならない」と。

※この記事は、FX攻略.com2021年2月号の記事を転載・再編集したものです。本文で書かれている相場情報は現在の相場とは異なりますのでご注意ください。

 

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「人工知能と相場とコンピューターと」連載記事まとめはこちら

ABOUT ME
奥村尚
奥村尚
おくむら・ひさし。1987年工学部修士課程修了。テーマはAI(人工知能)。日興証券で数々の数理モデルを開発。スタンフォード大学教授ウィリアム・シャープ博士(1990年ノーベル経済学賞受賞)と投資モデル共同開発、東証株価のネット配信(世界初)。さらにイスラエルのモサド科学顧問とベンチャー企業を設立、AI技術を商用化し大手空港に導入するなど、金融とITの交点で実績多数。現在はアナリストレーティングをAI評価するモデル「MRA」、近将来のFXレートをAI推計する「FXeye」、リスクとリターンを表示するチャート分析「トワイライトゾーン」を提供。日本の金融リテラシーを高めるため、金融リテラシー塾を主催している。 趣味はオーディオと運動。エアロビック競技を15年前から始め、NACマスター部門シングル9連覇、2016年シニア2位、2014~2016年日本選手権千葉県代表、2017~2018年日本選手権 マスター3準優勝。スポーツ万能と発言するも実は「かなずち」であり、球技も苦手である。座右の銘は「どんな意思決定でも遅すぎることはない」。
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