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人工知能と相場とコンピューターと|第3回 人工知能、概念の登場[奥村尚]

人工知能と相場とコンピューターと|第3回 人工知能、概念の登場[奥村尚]

1940年の東京五輪 日中戦争のため中止に

 第二次世界大戦を経た1940年代半ばに登場した真空管を使ったコンピュータは、コンピュータサイエンスの分類上、第一世代と呼ばれます。当時のコンピュータは真空管の限界もあって、性能や使い勝手、何といってもその巨大さや発熱など、マシンとしての完成度には限界がありました。

 話がそれますが、1940年といえば、東京市(今の23区にあたる)でのオリンピック開催が1936年の国際オリンピック委員会(IOC)で決まっていました。その1回前、1936年はベルリンオリンピックがナチスドイツ主催で開催されました。聖火リレーを最初に行ったのは、この大会です。

 第一次世界大戦後の1919年、パリ講和会議で戦勝5大国(英、仏、米、伊、日)であった日本が、1936年のIOCでメンツをかけて取りに行ったオリンピック開催でした。組織委員会委員長は、貴族院議長・徳川宗家16代当主、徳川家達公爵です。しかし、中華民国(当時)との全面戦争の準備を進める軍部の(オリンピックどころではないという)意向で、政府が開催2年前に開催権を返上したのです(代わりに次点のヘルシンキで開催されるはずでしたが、第二次大戦勃発で中止。1944年も大戦のため中止)。

 東京市の誘致活動費は8万5926円だったそうです。そのころは新卒教師の初任給が60円、公務員の初任給が75円で、当時の1円は今の2500円ぐらいにあたりますので、現在価値に換算すると2億1500万円で誘致したことになります(2020年東京オリンピックの誘致費用は75億円でした)。1940年(昭和15年)のドル円レートは1ドル4.27円(軍用レート)でしたから、当時の1ドル=今の1万円くらいの価値があると思ってよいでしょう。

ノイマンの計算力はコンピュータ以上?

 閑話休題、コンピュータ第一世代はマシンの進化よりも、理論やサイエンスとして確立されつつありました。主に数学者によってアーキテクチャやロジックの研究が進んだのです。その第一人者は、ジョン・フォン・ノイマンでした。彼はコンピュータ計画に加わる前、1943年に創設されたロスアラモス国立研究所に招集されていました。この研究所は、原爆の開発、製造、実験のための国家プロジェクト(マンハッタン計画)の頭脳という位置づけにありました。

アインシュタイン=シラードの手紙

出典:Atomic Heritage Foundation

 この計画はアインシュタインが署名し、ルーズベルト大統領に送った書簡「アインシュタイン=シラードの手紙」(画像①)がきっかけでウランの核分裂を利用した爆弾研究への資金提供が行われ、マンハッタン計画として発展したものです。ノイマンはこの計画で、顧問としてプルトニウム型爆弾の起爆原理を研究します。爆薬を32面体に配置することで効率の高い核爆弾(爆縮レンズ)を設計できることを導きました。また、爆発のタイミングは地上ではなく、空中で行うことでさらに威力が増すことも計算しました。当時はまだコンピュータが実用化されていなかったため、爆縮レンズの計算には10か月を費やしたといいます。

 このときのエピソードがあります。物理学者のエンリコ・フェルミとリチャード・P・ファインマン(どちらもノーベル賞受賞者)と3人で水爆の効率概算を行ったのですが、ファインマンは手回し式計算機、フェルミは計算尺、ノイマンは暗算で挑み、ノイマンの答えが最も早く正確だったと伝えられています。その頭脳にして、10か月もかかる計算だったのです。その後、ノイマンは手計算での限界を思い知ったようで、EDVAC(エドバック)プロジェクトに参加します。EDVACが完成したとき「俺の次に計算の速いやつができたな」と話したそうです。

 ノイマンは、世界で初めて人間の脳の容量を計算した人でもあります。116万GB(ギガバイト)と試算しました。これは、1.16PB(ペタバイト)です。今日でも通説としてそう考えられています。

人工知能の概念を提唱したチューリング

 人工知能という分野でも、やはり数学者から画期的な研究発表がなされました。1947年2月、暗合解析の第一人者でもあった数学者アラン・チューリングが、ロンドンの数学会で現在の人工知能の概念を世界で初めて提唱したのです。大容量メモリの重要性、そして条件判定による処理の分岐などのアイデアがこの中で既に出ています。当時はCPUが持つ命令セットと、プログラム言語による条件分岐の区別がなかったのですが、その後のプログラム言語に大きな意義を与えたものです。さらに、チューリングは「人間の脳の容量は、おそらく100万ビットの1万倍のオーダーだ。大半は映像の記憶に使われ、その他はおそらく無駄になっている。このことから、数100万ワードでコンピュータ処理は真価が発揮できる。限定された分野での研究、例えばチェスなどにおいて、平均的プレーヤーに勝つのは割と優しいと考える。〈中略〉私たちが欲しいのは、経験から学習することができるマシンである」と述べています。

 チューリングは人間の脳の容量は1GBから10GB程度と推計したようで、1PBと試算したノイマンの方に分がありそうです。この提唱の後、チューリングテストの論文を発表します(1950年)。これは、マシンである人工知能の知性を人間と通常会話することで判定するテストでした。会話はキーボードとディスプレイの文字だけで行いますが、機械が人間的であるかどうかを判定する最初の提唱となりました。

 このチューリングテストに合格したのは、実はつい最近の2014年です。2014年6月8日、英国レディング大学でウクライナ在住13歳の少年という設定のスーパーコンピュータが、審査員の33%に「人間である」と間違われ、チューリングテストに初めて合格したのですから、いかにチューリングの論文が優れていたかが分かります。

 コンピュータサイエンス分野では、1966年から計算機科学のノーベル賞とされるチューリング賞がありますが、これはチューリングの名前にちなんでいます。毎年1名(1組)が選ばれ、2014年以降はGoogleの後援により、100万ドルが贈られるようになりました。これはノーベル賞の賞金と同額です。ちなみに、2019年まで日本人受賞者はいません。

GHQの政策によって1ドル360円に固定

 1950年前後といえば、戦場となった欧州、アジアが立ち直りつつあった時代です。日本は第一次ベビーブームとなりました。この時代の日本における死因の第1位は結核、第2位は脳卒中、第3位はがんです。男女の平均寿命は、なんと男性58歳、女性61.5歳でした(厚生労働省 簡易生命表)。2019年7月に厚生労働省が発表した日本人の平均寿命は、男性が81.25歳、女性が87.32歳ですから、およそ70年間で男性は+23.25年、女性は+25.82年長生きできるようになったわけです(2018年における死因第1位はがん、第2位は心疾患、第3位は老衰)。

 1949~1950年の日本は、戦後の金融制度が整備されてゆく時代でもありました。戦後、日本を占領していたGHQ/SCAP(連合国軍最高司令官総司令部、以下GHQ)が、外貨の受け渡しを担当管理していました。日本の海外資産は連合国軍が封鎖しており、日本政府や日銀が保有していた金銀は接収され、日本の銀行が開設していた海外店舗は閉鎖。外為銀行も消滅していました。個人や企業はもちろん、政府や中央銀行も外貨を持つことが禁止されていたのです。

 GHQは為替管理権を日本に移管するために、日本の大蔵省や通産省などと議論を進め、法案編成を進めますが、かなり難航したようです。結局、GHQ顧問ジョセフ・ドッジが立案、勧告した経済安定9原則に基づき、ドル円レートが1ドル360円の固定相場として決定されました(1949年4月23日)。これはドッジラインと呼ばれます(画像②)。

ドッジラインの発表会見

出典:日経新聞社、共同通信社

 1949年12月1日、戦後外為管理の法律(「外国為替及び外国貿易管理法」通称外為法)が公布され、外貨統制の権限が日本政府に返還されます。

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1951年に世界初の商用コンピュータ登場

 その一方で、株式市場も再興されます。1949年5月16日、戦後初めて東京証券取引所が稼働します。495社が上場し、東証平均株価(今でいう日経平均)は終値176.21円でした。同日、大阪証券取引所も再開しています。

1949年から10年間の株価推移

 ここで1949年から10年間の株価推移をご覧ください(図①)。戦後の日本が経験する初めてのバブルは1950年から始まります。1948年8月15日に大韓民国が、9月9日に北朝鮮が建国されますが、1950年6月に北朝鮮は国境を越えて侵略戦争を起こします(朝鮮戦争)。日本は、韓国を支援する国連軍の物資や運輸の起点となり、好景気に沸き、株価は高騰しました。1953年3月5日の暴落(-9.997%)は東証再開後の初めての暴落で、旧ソ連のスターリン首相が死去したというニュースが伝わったことによります。その後、朝鮮戦争は停戦(1953年7月27日)し、日本は再び好景気に沸きます。

 1951年、世界で初めて量産されたコンピュータが世に出ます。ペンシルベニア大学でENIAC(エニアック)を作った学者が、大学との知財をめぐる紛争で大学を去って設立した会社でUNIVAC(Universal Automatic Computer、ユニバック)Iを出したのです(画像③)。5200本の真空管、一万本のダイオード、入出力のために磁気テープが使われました。一号機は国勢調査局に納入され、ベビーブームで人口が増えてきたこともあり、事務処理に利用されました。翌年の米大統領選(民主党のトルーマン大統領から後釜を任されたスティーブンソンVS共和党のアイゼンハワー)の予想にも使われました。

UNIVAC I

出典:Smithsonian museums

 UNIVAC Iを開発したレミントンランド社は、米国有数のコンピュータ企業に成長し、その後ライバルのスぺリー社と合併。1986年にバローズ社にM&Aされ、ユニシス社となり今日に至っています。

米国のベル研究所でトランジスタが誕生

 コンピュータメーカーといえば、IBMを抜きに話を進めることはできません。IBMは1911年に創業し、パンチカード機器やタイプライターを作っていました。ENIACのパンチカード入力機器もIBM製でした。第二次大戦中は自動小銃なども製造、1944年にはHarvard Mark Iというコンピュータも作りましたが、電子式ではないリレー式で時代遅れでした。商用コンピュータとしては、UNIVAC Iの性能に遠く及ばなかったようです。とはいえ、軍にコネを持っていたためマサチューセッツ工科大学(MIT)の研究成果を生かすことができ、空軍の防衛ネットワークシステム受注など、ビジネスでは成功を収めました。

 そして1947年、トランジスタが発明されます。ベル研究所で開発されたものですが、この研究所はAT&T社の研究部門とウェスタンエレクトリック社の研究部門を合併させたものでした。当時から電気通信の基礎研究で革新的な技術を開発し続けてきた研究所です。トランジスタは当初、研究レベルのもので動作不安定でしたが、1954年にテキサス・インスツルメンツ社が安定動作するシリコントランジスタを発明し、新時代が幕を開けます。

※この記事は、FX攻略.com2020年6月号の記事を転載・再編集したものです。本文で書かれている相場情報は現在の相場とは異なりますのでご注意ください。

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