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人工知能と相場とコンピューターと|第8回 株式バブルとプラザ合意[奥村尚]

人工知能と相場とコンピューターと|第8回 株式バブルとプラザ合意[奥村尚]

日本の株式バブル

 1980年代の相場は、何といっても日本の株式バブルを第一に挙げておくべきでしょう。まずは、当時の日米の株式相場を振り返ってみます(チャート①、②参照)。

日経平均株価の変遷 NYダウの変遷

 1980年1月4日の日経平均株価は6560円でした。当時は、日本の経済力、企業競争力に比べて、株価は過小評価されていたのですが、その後10年で株価は一本調子に4万円まで上り詰めました。1989年の年末には、3万8916円ですから、10年で5.93倍も上がったのです。株式バブルです。

 1985年、中曽根政権時代に電電公社はNTTとして民営化され、1987年2月に上場しました。市場では買いが殺到し、公募価格119.7万円に対して初値は160万円で、その後2か月で318万円になりました。株で儲かった金は不動産にも向かい、山手線内の土地の価格は、米国全土が買えるほどに上がっていました。

 また、日本の有名なゴルフ場で、米国の女性プロゴルファーが「このゴルフ場良いわね、いくらくらいするのかしら?」と聞くと、「1億円です」といわれ、「安いわ、買っちゃおうかしら」と答えると、「いえ、これは会員権の値段です」と返されて仰天したというエピソードもありました。

米国株価の変遷

 同時期の米国が、どうであったかも見ておきましょう。

 1980年1月の段階では、NYダウは1000ドルでした。10年間で2.7倍になりましたが、日本のような凄まじい上がり方はしていません。1987年に一度ガクンと落ちているのは、10月19日のブラックマンデーと呼ばれる大暴落です。何か特定の理由で下がったわけではなく、米国の財政と貿易の赤字や、西ドイツの利上げ、プログラムによる自動売買など、複数の要因が関与して、たまたまこうなったという後解釈がされています。

 これを教訓に、1988年、金融市場にはサーキットブレーカーの規則が導入され、急変時には売買を一定時間ストップさせ投資家の頭を冷まし、異常な騰落が起きないように値幅制限なども設けられました。

 ブラックマンデーは、1日で22.6%(508ドル)も暴落しました。この記録は、今後破られることはないでしょう。現在のNYダウ(2万7500ドル程度)が当時と同じ比率で下落すると、6200ドルも下落することになるのですから、いかに凄い暴落であったかが分かると思います。

 1980年代の日本は、10年間で6500円から4万円まで株価を上げ、それから30年経過した今、株価は2万3000円であり、ピークからマイナス43%となりました。それに対し、1980年代、米国の株価は10年間で1000ドルから2700ドルになり、それから30年経過した今、実に2万7000円まで上昇。ピークの10倍になりました。

 米国株式は、長い目で見ると、常に右上がりであり、素晴らしい経済発展を継続していることになります。日経平均株価は、当時と今では採用銘柄が異なっており、当時の4万円と今の2万3000円を単純に比較はできませんが、先進国で30年前の株価水準を抜け出せていないのは、日本だけです。

ドル円の変遷

ドル円の変遷

 ドル円のレートも確認しておきましょう(チャート③参照)。1985年まで200円台を保っていたドル円レートは、突然一気に急落しています(縦棒の位置)。これは、プラザ合意があったためです。このプラザ合意は、FXトレーダーなら知っておくべき事項で、歴史的にも重要なイベントでしたので、掘り下げておきます。

 米国は、世界大戦が終わってから1960年代まで、圧倒的な経済力で世界をけん引しました。強いドルを背景に、世界中の資産を購入し繁栄しました。しかし、1970年代に入ると、それまでに膨らんだドル債務が金と交換できる量を超え、1971年にブレトンウッズ体制は崩れます。これがインフレの引き金になりました。1973年のオイルショックとあいまって、日本を含む西側先進国の経済は2桁のインフレ率になったのです。

 この解決に最も早く着手したのは英国です。1979年、サッチャーは英国初の女性首相につくと、新自由主義に基づいた改革を行います。国有企業の民営化、規制緩和、金融システム改革、直接税の引き下げと間接税(消費税)の引き上げを、次々に実施しました。

 米国も1981年1月、レーガンが大統領につき、レーガノミックスを進めます。財政では小さな政府を目指し支出削減、税制では貯蓄投資の促進を行い減税、規制緩和も進めました。金融政策もマネーサプライをコントロールし、インフレ抑制を目指しました。ただし、軍事予算だけは増大させ強い米国を目指したのです。

 インフレについては物価上昇率が半分になり、目標を達成したのですが、軍事費はSDI(通称スター・ウォーズ計画)でさらに膨らみ、社会保障も拡大して財政支出削減はできませんでした(財政赤字)。金利の高いドルを求めて外貨が流れ込み、ドル高をもたらし、ドル高は米国の輸入を膨らませました(経常収支赤字)。この二つの赤字は、「双子の赤字」と呼ばれました。

ドル高を是正するためのプラザ合意

 こうして、米国に対する欧日の経常収支黒字は、経済外交上の課題となりました。特に日独の対米黒字は大きく、日米摩擦も深刻になります。日本に対する市場開放や内需拡大も強く迫られました。日本は世界最大の債権国になっていたのです。米国では日本からの輸入を規制するか、円高ドル安の通貨政策をするかを議論しており、日本は何としても規制をさせる前に通貨で決着をつけたかったのです。

 1985年9月22日、G10、G5で3か月にわたる調整を経て、ドル高是正をするために国際協調で解決する会議が、NYのプラザホテルで行われました。合意内容は、

(1)ドル高、円安、マルク安を是正する

(2)各国は為替市場に協調介入する

(3)米国は財政赤字削減に、日本と西ドイツは内需拡大に務める

というものでした。

 プラザ合意直前のドル円レートは241円、合意発表後1日で20円以上下落しました。その後も円は下落を続け、それまで250円だったレートは、120円台と、半値まで下がったのです。

 ちなみに、プラザホテルはNY5番街にある国定歴史建造物として有名な建物であり、高級ホテルです(画像①参照)。1988年、円高を利用して青木建設がウェスティン・ホテルズ&リゾーツを買収し、プラザホテルを傘下に収めましたが、その後不動産王のトランプ氏に売却しました。現在、セントラルパークに面した良い部屋は、住居棟になっています。

プラザホテル

プラザホテル

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IBM PCの登場

 1970年代のパソコンは、マニアが趣味でプログラムを作ったり、ゲームをしたりする使い方でしたが、1980年代のパソコンは、スプレッドシートやワープロソフトで実務をこなすことが普通にできるようになってきました。

 こうした実用性に関して、最も大きく影響を与えたのは、「IBM PC」でしょう。1981年8月に登場したIBM初のパソコンで、最高性能を目指してきた大型機とは異なるものでした。何と、そこらのショップで売っている汎用パーツを組み合わせて、IBM Personal Computer として堂々と発表されたのです。

 IBMのパソコン開発チームは、1980年からたった1年で開発を終え、しかも販売開始することまで命じられており、斬新なものを開発する余裕はなかったのです。当時、IBMは230億ドルのビジネスを行い、34万人の社員がいて、年間R&D予算は1社だけで米国全体の合計の10%に相当するのではないかといわれたころの話です。

 IBM PC本体は、1565ドルからの価格でした。1981年の米国のパソコン市場は、出荷台数70万台、売上10億ドルといいますから、大きな業界になっていました。IBMはパソコン市場への参入が遅れてしまい、急成長する市場にすぐに参入しないと大変なことになると思い、慌てたのです。

 この時代のパソコンシェアを見てみましょう(画像②参照)。IBMがあっという間にシェアを伸ばしたことがよく分かります。

1980年代パソコン台数のシェアの推移

出所:Harvard Business school ‘Business History Review, Vol. 66’

 しかし、この成功は長続きしませんでした。IBMの“そこらのパーツを組み合わせた”パソコンは、誰にでもまねができるものだったのです。特許の塊である肝心のCPUはインテルの市販品、OSは「MS-DOS」という名でマイクロソフトに開発を外注。外販を許可していたので、パソコンショップでパーツを買い、MS-DOSをマイクロソフトから買えば自分でも互換機を作れました。

 PC互換機のメーカーも登場し、2年で100社になりました。例えばCompaqは、より性能の良いパソコンを開発し、IBMのシェアを奪っていくようになります。

 パソコンはそのおかげで、IBM PC登場の2年後には50億ドル市場になります。マイクロソフトはMS-DOSのヒットに続き、AppleのMacintosh向けにExcelを開発、さらにWindowsも手掛け、1985年にNASDAQに上場します。このときの年間売り上げは1.7億ドル。公募価格は1株20ドル。時価総額にして5億ドルでした。現在のマイクロソフトは、2020年8月末時点で1.6兆ドルの時価総額ですから、320倍大きな会社になったことになります。

日本におけるパソコンの進化

 日本でもパソコンは実用的なものとして、米国と同時期に進化しました。特に1982年にNECから発売された「PC-9801」は、漢字を実用化した初のパソコンでした。その後15年間日本に君臨した「キューハチ」です。本体は定価30万円ですが、メモリ、漢字メモリ、ディスプレイ、ディスク装置、プリンター、ハードディスク一式を合計すると200万円に迫る高価なものでした。理系の学生には計算や論文で必須だったので、みんなバイトをして何とか購入していました。

 私も学生時代に使っていましたが、当時私のバイト時給は家庭教師2500円、塾講師も似たようなもの、予備校は1万円でしたから、現在の水準よりむしろ高かったかもしれません。

 ワークステーションが開発されたのも1980年代でした。OSはUNIXでネットワーク機能を備え、それまでの端末とメインフレームではなく、クライアントとサーバモデルで計算や精度の高いグラフィクス描画を行うものでした。HPやSUNは、CGやグラフィクス、あるいは特に金融機関のトレーディングシステム構築のプラットフォームで採用され一時代を築きました。

 パソコンより10倍も高価なシステムであったため、個人ユースには向かず、現代ではパソコン自身が高度なネットワーク能力やグラフィクス機能を持つことから、パソコンに置き換えられています。

 1980年代といえば、人工知能の研究が非常に熱心に進められ、ブームとなります。現在の技術は、大半がこの当時の基礎研究が進化したものです。特に日本は世界の中でも中心的な役割を果たしていました。

※この記事は、FX攻略.com2020年11月号の記事を転載・再編集したものです。本文で書かれている相場情報は現在の相場とは異なりますのでご注意ください。

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