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人工知能と相場とコンピューターと|第9回 パックスジャポニカと第5世代の夢[奥村尚]

人工知能と相場とコンピューターと|第9回 パックスジャポニカと第5世代の夢[奥村尚]

1980年代、日本のGDPは世界2位に

 2020年現在、世界における日本の経済的位置から判断すると、およそ想像もつかないことなのですが、1980年代の日本は、「パックスジャポニカ(Pax Japonica)」と呼ばれたほど、繁栄した時代です。

 パックス(Pax)というのは、平和の女神です。もともと「パックスロマーナ(Pax Romana)」というラテン語が語源で、ローマ帝国が地中海を支配した時代、紀元前から紀元180年ごろまでを指しますが、平和と秩序はローマによりもたらされ、富による繁栄がローマを中心に起こったという意味です。

 近代では、世界経済を支配するという意味で使われていますが、最初は「パックスブリタニカ(Pax Britannica)」に始まりました。19世紀の産業革命から20世紀初頭の第一次世界大戦までの時期は、英国が七つの海を股にかけ、強力な軍事力で世界を支配し繁栄しました。英語が世界の共通語になったのは、この時代があったからです。

 第二次世界大戦からは、米国を中心に発展しました。これは「パックスアメリカーナ(Pax Americana)」と呼ばれます。圧倒的な軍事力と経済力で世界を統治してきました。米国が世界の警察の役割を担った時代です。

 しかし、1980年代に入り、その力に陰りが出てきて、代わりに台頭したのが国内総生産(GDP)世界2位に躍り出た日本というわけです。1980年代、一人当たりのGDPは目を見張るものがありました。ドルベースで計算した一人当たりGDPの世界ランキングの推移を見てください(チャート①)。1988年以前から、日本は国としてのGDPは2位(1位米国、3位ドイツ)でしたが、1980年代は、みるみる一人当たりGDPも上昇し、1988年には2位(1位スイス、3位ルクセンブルク)になっていました。

ドルベースで計算した一人当たりGDPの世界ランキングの推移

 東証1部の時価総額も、67兆円(1980年1月)から、591兆円(1989年12月)と、実に9倍近く伸びました。時価総額の推移も見ておきましょう(チャート②)。残念ながら、1990代にバブルが崩壊し、パックスジャポニカの実現はならず、長期にわたり株価も低迷が続きました。1989年末の時価総額を超えたのは、年末ベースでは2019年(648兆円)ですから、追いつくのに30年かかったことになります。

東証一部 時価総額の推移

第5世代コンピュータプロジェクト

 1980年代前半、日本のコンピュータ業界は大型機中心で、米IBM大型機の互換機を製造してビジネスを行っていました。

 IBMの大型機は、大手銀行や証券会社など金融機関に多く採用されましたが、OSはIBMが独自開発した固有のもので、基幹ソフトはIBMの大型機でのみ動くものだったのです。日立製作所、三菱電機、富士通などはIBM大型機の互換機を作り、OSは自社開発と称していましたが、当然ながらIBMのOSを模倣したもので、ハードソフト込みで互換機として販売したのです。

 そのために、日本のメーカーはIBMの新製品に関する技術文書をあらゆる手を使って入手しており、その入手最中にFBIのおとり捜査に引っ掛かり、日立や三菱の社員は逮捕されてしまいます。いわゆる産業スパイ事件です。富士通は社員が逮捕こそされませんでしたが、IBMは同社に対しても著作権法違反を主張しました。1982年のことでした。

 互換機を作る側は、IBMの技術情報があって初めて互換性を持つコンピュータを設計できるのですが、その重要な情報を一体どこから持ってきたのだ?と裁判で問われると回答できなくなります。結局、和解金で決着がつきました。

 そうした事件とも関係したはずですが、国産の技術推進政策として、通商産業省(現在の経済産業省)は、1982年から10年計画で最先端のコンピュータ開発プロジェクトをキックオフします。そのために財団法人新世代コンピュータ技術開発機構(ICOT)を作り、人工知能の開発、直接的には国力をもってIBMという巨人に対抗、もしくは超えることを目指したのでした。

 国家予算はトータル570億円でしたが、民間企業も同じ規模の予算を拠出しているので、1000億円の資金を投じた壮大なプロジェクトでした。参加企業は、オールジャパンといえるもので、電総研、NTTおよび富士通、日立、NEC、東芝、三菱、沖、松下、シャープの民間8社です。

 この時代、コンピュータはハードウェア的には、第4世代に位置付けられるもので(真空管によるスイッチングを行った第1世代、トランジスタを用いた第2世代、集積回路を用いた第3世代、LSIや超LSIで実現されたマイクロプロセッサを搭載した第4世代)、次の世代のコンピュータとして提唱されました。それが、AIマシンの開発だったのです。

 研究プロジェクトでは、推論を高速に実行できる推論マシン(画像①)のハードウェア、オペレーティングシステム、プログラム言語が開発され、学会レベルでは推論システムなどの事例が示されました。

並列推論マシンPIM/m コンピュータ博物館HPより

 しかし、1982年に立てた目標を10年間も疑問を抱かずに持ち続けていたのですから、手段が目的化しました。世の中は、1980年代後半にUNIXをOSとする汎用クライアントサーバ(ネットワーク分散コンピューティング)に向かい、専用メインフレームは時代遅れのものとなっていました。プロジェクトの目的がIBMのメインフレームに打ち勝つハードウェアの開発に置かれていたので、出来上がった筐体は巨大で売れるはずもありませんでした。

 参画企業8社は、研究者の派遣、人件費、研究費、展示会など、各種の負担を負っているはずですから、元は取れていないでしょう。何しろ、現在も大型コンピュータを主事業としている会社は富士通くらいで、その他の会社は大型コンピュータ事業から撤退しています。それでもパソコン事業をやっているのは良い方で、会社そのものが縮小し、全く異なった資本を受け入れ、別事業で食べている状況です。いや、プロジェクトの目標とされたIBMですら、コンピュータ事業を大幅に縮小しハードウェアをやめ、コンサルティングやソフトウェア開発を主体にしているのですから、これは当然でしょう。

 結局、オールジャパンといえるリソースでAIマシン開発が始まったものの、アウトプットは目に見えるものがなく、ビジネス的にも得るものはなかったのでした。ただ、有り余る予算を使い、研究者に好きなようにさせると才能は育ちます。この分野の研究者は、大学ですくすくと成長しました。ハードウェアだけがアウトプットではありません。当時の成果は、研究者の中ではまだ死んでいないはずです。

 プロジェクトとしての目標は果たせませんでしたが、生きている資産の再吟味を行い、現代に使えるものを活用する、という価値の再発見、あるいは吟味という作業はあって良いでしょう。

1980年代のエキスパートシステム

 1980年代の世界的なAIブームは、エキスパートシステムを中心に起こりました。パソコンの進化により、処理速度としても十分なことができるようになっていました。私自身も研究者として、エキスパートシステムの開発に取り組んでいました。既にエキスパートシステムを構築するためのシェル(あるいは推論エンジンとカラの知識ベース)は販売され始めていて、そうしたシェルを使って構築していたのです。

 私が携わっていたのは、(例えば、グリッドネットワークやロボットのような)複雑な系統の変化をパターン認識知識として覚え込み、一部の故障時に時間のかかる計算をいちいちしないで済むようにしようという研究でした。判断に有用な知識の種類を、いかに大量に持てるかが当時の課題であり、結局はその問題がエキスパートシステム全体の実用化の課題としても取り上げられていたことを思い出します。当時の技術では解決できませんでした。

 現代では、身近で実用化されているエキスパートシステムが存在します。Amazonで買い物をしたことがあれば思い当たるでしょう。「これを見た人はあれも見ています」とか、「これを買った人は、あれも買っています」という情報が勝手に出てくると思います。Amazonは日本の大手通販サイトとは比較にならないくらい、精度が高いように感じます。

 この機能は、「あなたが欲しがるものを欲しい人たちは、こんなものも欲しがっていますよ」というお勧めを過去の閲覧、あるいは買い物の履歴などを基に提示するものです。購入者の(サイトでの)行動や購入データと、他の人のサイトでの情報を処理し、共通項を類推する処理を行います。

 オタクの共通項を、ビッグデータを基に行動のパターン化、あるいは経路のクラスター化を行い、欲しがると推計される別商品をフォーカスし、ピンポイントにマーケティングするものです。Amazonでは知識の質、量の問題を、いわゆるビッグデータで解決したわけです。

 現在の機械学習でも、「情報をどう確保するか」という似た問題を抱えています。2015年にプロ棋士にハンディなしで勝った初めてのAIプログラムである、Googleのアルファ碁(AlphaGo)は、学習が一定レベルに達した後は自分自身と対局して自己評価し、そこから学習することで量と質の問題を自己解決しています。スマートに解決したものだと感心しました。

主流はサンのワークステーションへ

 この時代はメインフレーム時代の終焉、および分散処理時代の始まりでもあります。この動きはワークステーションで発展しました。

 1970年代、ベル研究所でUNIXというOSが開発され、1973年にはC言語で記述されシンポジウムで発表されました。通信の巨人AT&Tが親会社であったため、独占禁止法によってコンピュータ産業へ出ることは許されず、無料で希望者にライセンス供与し全米に広がりました。

 1979年、カリフォルニア大学バークレー校(UCB)が、バークレー版のUNIXを開発します。これを開発したビル・ジョイは、スタンフォード大学で会社を立ち上げていたアンディ・ベクトルシャイムやスコット・マクネリに招かれ、1982年、サン・マイクロシステムズを創立します。

 今でいうWindowsのようなガジェット、マウス、ネットワーク上にあるストレージやプリンタのシェア、電子メール、チャットなどの機能を備えたワークステーションのメーカーとして、1980年代から1990年代にかけて大きく成長しました。本社はカリフォルニア州サンタクララ、シリコンバレーです。

 私も証券会社に入社し、配属された研究所ではサンのワークステーション(画像②)を使って研究開発の仕事をしていました。世界的にも大手金融機関がこぞって1台数百万円のワークステーションを100台単位で買っていた時代でした。

Sun Workstation(Sun-3)

出所:Computer History Museum

※この記事は、FX攻略.com2020年12月号の記事を転載・再編集したものです。本文で書かれている相場情報は現在の相場とは異なりますのでご注意ください。

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