19~20世紀にかけて通貨統合が進められた
時代は20世紀に入りますが、その前に19世紀の欧州の主要国家における領土、通貨統合への道のりをおさらいしておきます。
19世紀の欧州は、近代国家に必要な3要素(領土、法律、通貨)が整ってきた時代です。それまで欧州の主要国は一つの国家としてまとまっていませんでした。この時代になって、欧州のいわゆる列強国を中心に、領土としての国家統一に合わせて通貨統合の動きも始まりました。
英国は、18世紀後半(1760年代)の産業革命によって世界に先駆けて工業化を達成します。1707年には既にスコットランドとイングランドは合同し、グレートブリテン王国となっていましたが、19世紀初日である1801年1月1日、グレートブリテン王国はアイルランドを併合し、連合王国United Kingdom of Great Britain and Irelandが誕生しました。ユニオンジャックのカッコいい国旗は、このときにできたものです(画像①)。1837年から1901年のヴィクトリア女王の時代は、圧倒的な工業力と海軍力を背景に世界に君臨し、広大な植民地を持つに至ります(英国連邦)。
このころは、地中海ではジブラルタル、マルタ、キプロス、北米では米国、中南米ではフォークランド諸島、西インドではジャマイカ、アフリカではエジプトや南アフリカ、アジアではインドやその周辺まで勢力を拡大し、1840年にはアヘン戦争で中国の清王朝を屈服させ、香港を植民地に加えます。さらに自治領として豪州、カナダ、ニュージーランドまで支配していたのですから、それはもう強大国でした。
この繁栄は第一次世界大戦まで続きます。第一次世界大戦ではドイツとの戦いに戦費をつぎ込み、債権国から債務国に転じて富や繁栄が失われたのです。19世紀における英国の繁栄をパックス・ブリタニカとも呼びますが、この時代に英国は通貨の金本位制を確立します。
このころのポンドの価値は、日本の記録から想像できます。1862年に、薩摩藩で大名行列に乱入した英国人が薩摩藩士に殺害された生麦事件をきっかけに薩英戦争が起こったのですが、薩摩藩が英国に支払った和解金は2万5000ポンド。当時の日本の通貨に換算すると6万300両で、1ポンド=2.41両です。その8年後、1871年に円が誕生したときは1ドル=1両=1円でしたから、1ポンド=2.41ドル=2.41円ということが分かります。
その後、アイルランドは1949年に英国連邦から離脱します。英国に残った北アイルランドとは同じ島に生きる同じ民族として絆が深く、宗教問題と領土問題も絡んでアイルランドと英国は北アイルランドを巡る対立を多々起こしていました。
1972年1月、北アイルランドでデモ行進中の市民が武装した英国軍隊に殺傷されました(血の日曜日事件)。裁判で英国軍は無罪でしたが、ブレア政権で調査委員会が発足し再調査。2010年の報告書で英国に非がある内容が発表され、キャメロン首相が下院にて政府として謝罪を行っています。翌年の2011年にはエリザベス女王がアイルランドを公式訪問し、両国の関係改善の象徴と歓迎されました。
北アイルランド問題は、英語でThe Troubles(まさに問題)と呼ばれて今に至っていますが、音楽が好きな方は、いくつかの作品を思い出すことでしょう。
◦1972年、ポール・マッカートニー。ウイングス初のシングル、血の日曜日をテーマにした『アイルランドに平和を(Give Ireland Back to the Irish)』
◦1983年、U2。アルバム『War』に収録された作品『ブラディ・サンデー (Sunday Bloody Sunday)』
2020年に英国が欧州連合(EU)から離脱するときに最大の問題になったのが、北アイルランドとアイルランドにおける英国側とEU側の国境管理に関する条項 (バックストップ ※)ですが、こうした歴史があったのです。
※著者注:バックストップとは、英国がEU離脱後に通商協定がまとまらなかった場合でも北アイルランドとアイルランドの国境に境界を敷いて検問をしない措置。発動されると英国はEU関税圏にとどまるか、ブリテン島と北アイルランド島の間に国境を敷く必要に迫られます。EU関税圏にとどまるなら英国がEU離脱する意味がないので、後者が解になるという説が有力です。
さて、金本位の英国に対し、欧州は銀本位制を取ります。最も早く開始したのはスイスです。1789年にフランス革命が起きましたが、革命運動はスイスにも広がり、1848年に統一国家スイス連邦が設立されます。1850年の連邦通貨法によって、統一通貨フラン(franc)が導入されました。スイスフランの誕生です。読んで字のごとく、フランスの通貨制度を模倣したもので、本家フランスのフランもスイスの法貨とされ、そのまま使えていました。その後フランス語圏の4か国(フランス、ベルギー、イタリア、スイス)でラテン通貨同盟(1865年)を作り、通貨が統合されていきます。1927年に同盟は解体し、スイスフランとして完全に独立した体系となりました。
ドイツは1834年に関税同盟を結び、南北に分断されていた国家の経済統合を図ります。1838年にはドレスデン通貨条約を締結し、マルクという共通通貨で統合をしました。
イタリアは1861年、サルデーニャ王国が国土統一をしました。このときに硬貨統一は果たしたのですが、地域経済が自立していたため紙幣の統一はできずにいました。1926年に中央銀行(イタリア銀行)ができて、ようやくリラとして金本位で安定しました。
このように、欧州における現代国家の姿が形になったのは19~20世紀にかけてです。
2回の世界大戦を挟み飛躍的な進化を遂げる
ここから話を20世紀に進めます。1904年に、英国のフレミングにより真空管が発明されました。中学の理科で学ぶ、「フレミングの左手の法則」を考案した物理学者です。真空管は、ガラス管の中を真空(あるいは低圧)にしておき、その中の電極を高温にして電子を放出するものです。この電子の動きを電界と磁界でコントロールすることで増幅、検波などを行います。1906年には、3極菅という真空管が開発されました。これは、世界初の増幅力をもった素子であり、トランジスタや集積回路(IC)と同じことができる画期的なものでした。真空管を使ってラジオ、テレビなどがその後に開発されていくのですが、ここでは何といっても真空管によるコンピュータの登場に言及すべきでしょう。
第二次世界大戦前から、電子回路とスイッチを使ったコンピュータが研究され、数多くのコンピュータが出現しました。最も早くから実用化されたのは、1943年に稼働した英国のColossus(コロッサス)です。
英国は世界大戦中、ドイツ軍の潜水艦Uボートが脅威になっており、Uボートに指令を出している暗号の解読に力を入れていました。ドイツ軍が使うエニグマと呼ばれる機械式暗号機が生成する暗号鍵をコンピュータで解読する必要があったのです。Colossusは戦時中に稼働して役に立った最初のコンピュータですが、目的は暗号解読、機能はブール代数の演算に特化した専用機で、なおかつ軍事機密の理由で存在が秘匿されていたため、世界最初のコンピュータという知名度は希薄です。
1949年、プログラムによる四則演算が可能となる汎用コンピュータが登場しました。EDVAC(Electronic Discrete Variable Automatic Computer、エドバック)です。真空管でフリップフロップという電子回路を構成すると、内部状態を保持することができます。現代でいうメモリです。EDVACのプログラムは、パンチカードでメモリ中に蓄えて処理します。
入力が難題であったプログラム(命令)をメモリ中のデータによって実現できるようになっている点で画期的でした。EDVACの運用は30人体制、8時間交代だったそうです。
開発者でもあったハンガリー出身の米国の数学者、フォン・ノイマンは、画期的な報告書『EDVACに関する報告書の第一草稿』を1945年に仕上げます。これは、プログラムを内蔵するコンピュータEDVACの論理設計書であり、このアーキテクチャはノイマン型として、その後のコンピュータの規範となります。
ノイマンは、コンピュータの設計に関して、六つの装置に細分化しました。
- CPU
- I/O制御ユニット
- メインメモリー
- I:入力装置 (現代ではキーボード)
- O:出力装置(現代ではディスプレイやプリンター)
- 外部記憶装置(現代ではハードディスク)
これは、現代コンピュータのアーキテクチャとして、21世紀に受け継がれています。
EDVACより先に登場した、一般的に世界初と知られるコンピュータ、ENIAC(Electronic Numerical Integrator and Computer、エニアック)にも言及しておきます。どちらも米国陸軍からの依頼で、第二次大戦中にペンシルベニア大学で開発されました。ENIACが先に開発されたのですが、設計上の問題があると開発者が気づき、EDVACの開発に着手したとされています。ENIACの設計上の問題とは、内部表現が10進数であるために構造が複雑で、さらにプログラムを配線で行うことでした。構造が複雑ということは、真空管の本数に関係します。
ENIACとEDVACを比較してみると、EDVACの約3倍の大きさだったのです(表①)。真空管の寿命は2000時間です。それが1万7468本使われていると、6~7分に一度はどれかの真空管が故障する計算になります。実際には、スタッフを常駐させて選別した真空管を使い、故障を2日に1回に抑えて運用したそうです。
とはいえ、プログラミングの手間は大変なものでした。ENIACのプログラムは、まずは紙上で行います。ここでループ、分岐、サブルーチンなどアルゴリズムを整理します。これに1週間かかります。その後、パッチパネルと呼ばれる端子群をケーブルで接続しますが、その配線が、まさにプログラムとなります。
画像②はENIACの写真で、左側の機械が配線でごちゃごちゃになっているのがお分かりでしょう。これが、ENIACのプログラムなのです。この配線(プログラム)を終えるまでに数日かかります。検証、デバッグではENIACをシングルステップ動作にして行うことでシンプルにバグを発見できました。
ENIACとEDVACのどちらも戦後に発表されたコンピュータですが、開発には当時の予算で50万ドルかかっています。第二次世界大戦直後に日本は米国の救済基金と復興基金から合計18億ドルが供与されていますが、物価修正後の現在価値で12兆円と試算されていますので、50万ドルは現在では34億円程度の価値となります。当時、米国の国内総生産(GDP)は1兆7156億ドルで英国の5倍、世界の40%を占める圧倒的な超大国でした(OECD資料)。
FXの世界でも、このころ歴史的なイベントがありました。ブレトンウッズ会議です。1944年、日本はまだ大戦中でしたが、戦後の世界経済のために、米国ニューハンプシャー州のリゾート地、ブレトンウッズのホテルに連合国44か国が集まり、国際通貨基金(IMF)を設立。各国通貨とドルを固定相場とし、基軸通貨ドルと金の交換比率を固定した金本位制を決定したのです。
日本がこの制度に組み込まれたのは1949年です。1ドル360円で固定相場となりました。GHQ顧問のジョセフ・ドッジが設定したレートで、ドッジ・ラインとも呼ばれました。
※この記事は、FX攻略.com2020年5月号の記事を転載・再編集したものです。本文で書かれている相場情報は現在の相場とは異なりますのでご注意ください。
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